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2004.04.30

バナナにチロル

この記事これをみて思う。
おれ、かなり、バナナすきなんやなぁと。
なんか、その言葉きくと、気になる。「うきょっ」と(#サル顔だからか…)

古くは、だれかにいわれたまま、高校時代に、吸収のよい食べ物として、試合の朝、喰っていたし、いまでも、運動前数時間前に喰っているな。
最近は、あんま食がのどを通らなくて、喰っているし。
昔は、とても高かったものとして聞くが、その当時から値段が変わらないようだから、昔はホントぼっていたのだろう。
当時の生産体制、効率など加味すべき要素はあるが、ぼっていたんじゃなかろうか。

最近、あることがきっかけで、よく思うのだが、チロルもこれに近いと思っている。
少なくとも、30年近く前から、10円(まあ、30円のとかもあったけど)で、だいたい同じチョコを提供している。(種類は増えたが)
これって、その当時は、ぼっていたのでは?もともと駄菓子は、利幅が少ないので、怒ってはないけど。
まあ、輸入食材なので、為替レートもあったりで、なんともいえないのかもしれないけど、今の10円ってやっぱり、昔(25年~20年前)と価値ちゃうよなぁ。


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2004.04.29

朝粥、その後

今日は、天気もよかったので、早朝から行動しました。予告どおり。
中華街もホント、行きやすくなりました。
で、喰ってきました。粥。ちゃんと、揚げパンつきで。
久しぶりでした。うまかった。

場所は、謝甜記貮号店で。
「とりがゆ」と「すじがゆ」を喰いました。ぎりぎりまで、もつがゆも悩んだのですが。
で、勿論、揚げパンも頼みました。お店のひとからは、「1つでかなり多いですけど」といわれましたが、2つ頼んだところ、そのとおり、むちゃくちゃ大きかったです。日本仕様にはしていなかったのね…

ひとつといっても、棒状のかなり大きなパンが、2つくっついている形(うーんと、でかい、たらこくちびるちゅうか、うまい棒のでかいのが2つくっついている。例え、悪いな。要は、1セット2本)ので、それ自体で、2つじゃん(横浜なので)なのです。

粥ですから、味の幅は、限界があるとおもうけど、この揚げパンがあるから、いいんだなぁと思った。
カスタマイズできる感じもあるし。まあ、このパンのおかげで最後、やばくなったのだけれど。

揚げパンを入れると、パンの油(手でつまむとかなり油が出てくるぐらい)が、粥にとけていき、同時に、塩気も追加されていくので、味が、むつこくなって、よりうまくなっていくのだ。

素のままの時は、オイシイという感じだったけど、パンを1つの半分(といっても、形状からいうと、1つ)使い切るちょっと前ぐらいが一番うまかった。
それ以降、パンを入れる度(貧乏な生まれなので、残せません)、むつこくなってしまって、最後、ヤバかった。

値段とすれば、700円以下、パンは、200円しなかったし、具も、かなり入れてくれているので、お得感はあった。
女性なら、ハーフサイズで十分かもしれない。

最後の油たっぷりのお粥で、昼ごはんは喰えなかったけど。
まあ、油でもたれた腹は、青空と海で中和されました。

追記
一緒にとった、小籠包は、たれの酢と生姜はよかったけど、生地がもさっとしていて、個人的には、いまいち。
まずくはなかったけど。お店の人はいい感じ。あと、中華街は、朝早めに行ったほうがよいなと再認識。開いてる店は少ないけど。

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2004.04.28

朝粥、揚げパン

すきなのだ。
熱量が低めにみえて、けっこーおもい。
このコンビ。
朝、ぎょうさん、および、むつこいの食べるのすきなのよ。
朝から、とんかつとか、むっちゃウェルカムやし。

で、朝粥。富士そばみたいに喰えるとこ増えたらええのに、とおもう。
最近でこそ、粥の専門店でてきてるけど、やっぱ、よっぽどでなければ、喰いに行かれへんし、「日常」でないもんなぁ。さびしい限り。

なんで、こんなこと書いたかというと、明日の早朝、ちょっと、中華街にでも行って、喰えるとこ探してみようかしらんと思った次第。ええとこあったら、ここで、報告します。

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2004.04.27

ともだちのうちはどこ?

です。先日紹介したセリフの映画は「ともだちのうちはどこ?」でした。監督は、アッバス・キアロスタミという巨匠で、この後に続く、2作もふくめて、3部作といわれています。
3部作すべて、総じていい映画です。
映画に求めるものが人それぞれ違うでしょうけど、いわゆる映画らしくないけど、映画として観賞できる。

Googleだと、こっち

この映画観たのは、確かユーロスペースだったかな。あの小さいスクリーンで、子供の顔がアップで切なくて、なんともよかったなぁ。ホームシアターの延長のような感じで観る事ができたな。おっきな、映画館よりは、自宅でビデオでみるとよいとおもう。
内容は、間違えて友達のノートを持って帰って来てしまった少年が、友達の家を探すだけだけど、随所に、ああ、あったなぁと思えることが多い。DVDでているのかな。レーザーディスクは持っているのだけれど、買いなおそうかな。

とりとめないのだけれど、ぜひ、この休暇に、観てみてください。

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讃辞と惨事

仕事の話
思いがけないヒット
予想だにしてなかった商品ヒット

自分の立場としては、仕掛けてないだけにつらい。
が、このアイデアをおもいついた彼女に讃辞をおくりたいし、はがゆい気持ちでいっぱいだ。
とにかく、問合せが多くてありがたいけど、在庫ぎれをおこして惨事

ホント、お客さんのこころは予想をこえる

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2004.04.25

ポシュケ

これ、わかるひと、かなり映画好きだと思います。

もう超越してるんです。
このセリフ。語感としての深みや面白みもありますが、この言葉、ただの地名なんですが、映画のストーリーの中で、とても、印象的で、ぐっときちゃうんです。

こじゃれた文法や単語としての言葉の広がりをもつユーモアも素敵だけれど、このセリフのように、タイミングとその素朴さがぐっときたセリフは、いまのところ、これ以外ない。

言葉の響きも好きなので、まだ、幼稚園に入りたての姪に、すねげをやたらみて、「これ、なに?」ときくので、これはいいチャンス、思春期のある段階まで思い込ませるべしとおもって、、「ぽしゅけ」やと教えておいた。
ばっちり、言いふらしているようで、母親である、妹に、しかられた。

で、このセリフが出る映画、皆様に、絶対観てもらいたいのだが、敢えて伏せます。
わかった方いますか>皆様

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2004.04.24

師事するお好み焼き。”ふみや”

先週末から今週にかけて、更新をお休みした(やるきになれば、どこでも更新できるのだけど)のは、海外?にいたからと、先日書いた。
その旅行中、トラブルもあって、まったく果たせず、ひじょぉーーーーーーーーーーーに残念なことがある。

もう、次は、正月以降になってしまう。正月も、行かない可能性も高いし。
少なくとも、8ヶ月は、喰えない。ツライ。

それは、ふみやという店のお好み焼きである。
喰えなかった…常習性があって、麻薬的。

ここのお好み焼きは、ひとをえらぶ。店主も客をえらぶ(えらびがち)。といっても、かっこつけたお店じゃない。
どっかの定食屋みたいなところだ。匂いがつくので、食べた後、かならず、
「ふみやいったやろう?」といわれるぐらいだ。(なので、行くときには、汚い格好で)
とにかく、通常のお好み焼きの概念を超えているだろう。

この話題を仲間うちで出すとき、表現として、"揚げお好み”と表現するのだが、かなりいい表現だと思う。
外は、カリカリで、中は、やわらかいの追求した形とでもいおうか。

「ほんまうまいんで、まあいっぺんたべてみまい」(マジうまでやばい。一度行ってみて食べたほうがいいよ)と、言いたい。
で、ちょっとした注意。ここでは、マヨネーズなんてものはないし、箸もない(テコで喰らう)ので、箸欲しいなどとほざいてはいけない。

で、タイトルに戻ると、ここのお好み焼きを師事している。尊敬している。
いわゆるお好み焼きとしては、亜流なのかもしれないけど、お好み焼きって、そんなすごいもんでもなくて、何でもありだとおもうんでこれもアリだろう。
あの生地は、小麦粉だけじゃない気がするなぁ。あの白さは。作ってるところを観ると。上新粉とかはいってんのかな。(けど、そんな手が込んでる感じはしないけど)

自分がお好み焼き、焼くとき、この店のやり方とかをすごーく参考(というか、刷り込みに近い)にして、自分なりにアレンジしている。
なので、「師事している」と表現したのだ。他の世界の表現でいえば、「トリビュート」や「オマージュ」ってところ。

いま自分がお好み焼くのうまいん(自信アリ。知っている人も、知らない人もいるだろうけど。業務用の鉄板で焼いてみたい)は、この店のおかげだと思っている。

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2004.04.22

鯉よのぼれ

巨人・阪神以外であれば、セリーグの球団はどこも嫌いではないが。
まぁ、野球好きとしては、選手のレベルでは好きな人間が多くいるのだけれど。
この時期、いつものごとく、カープが調子いい。

まぁ、大体、このあと、駄目になるのだけれど、コマの割にはいいんじゃないかな。

僕の生まれ育った地域では、当然、巨人、阪神が双璧で。カープは地域的にも近いし、80年代のカープの黄金時代があったので、割にファンは多かったように思う。

やっぱ、ヨシヒコもコウジもかっこよかったし、子供心に。
当時のユニフォームを、子供用のパジャマで着てたんだけど、(勿論8番で)寝具としての色合いにぴたりあったいたように思うな。
だけど、鉄人は別扱い。あと、その後の投手王国時では、24が好きだったなぁ。今でも、マスターズリーグでは素晴らしい玉を投げるしなぁ。軟式出身、信用金庫出身なんてのは関係ないね。

とにかく、アンチ、巨人・阪神(漫才コンビは除く)だけど、心の奥底で応援しているこの貧乏球団には、すこし、勝利してほしいなあと思っている。

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2004.04.21

ぽっくり山、旬。

ごぶさたです。
暫く、更新を怠っていました。
さて、「旬」と聞くと、なにを思い浮かべますか>みなさま


人によって、時事、人物、くいもんなどと違うと思いますが、思い浮かべたその単語が是非、知りたいです。
イラクぅぅ、上司ぃぃ、たべものぉなどそれぞれ違うのでしょう。是非、単語、ひとつでも書き込んで教えてください。

このWebを怠った遠因と関係しますが、先週末から今週末まで、海外におりました。
(ここからいつものネタ)
瀬戸内海をまたいでですが…ですので、東京では、労働ビザなしの不法就労です。

で、自身の旬といえば、やはり「くいもん」関連になるわけですが、今回の海外旅行?で、今までより一層、強く感じた、発見したことがありました。

それこそ、くいもんで「旬」を感じやすい時期に行ったことや、年齢なのか、思いがけず、気づきました。
所謂、故郷と呼べる場所で過ごした時間と東京で過ごした時間がほぼ等しくなってきていますが、ああ、これって、地元特有のものだったんだときづくことが多かったです。

僕にとっては、青梗菜とか、青菜や小松菜などを総称しての呼び名かと思い込んでいた「まんば」は地元特産野菜であることにきずいたり。京野菜みたいに

あと、まこの煮つけ、大根のきんぴら、いかなごや金時豆の掻き揚げ(うどんやに、たまぁにおいてある)など、旬のくいもんだったことを改めて認識しました。

この時期、本当にすきなのは、サワラ(鰆)や、シャコ(江戸前とはちがうなぁー。ホンマに)だけど。

ま、とにかく、知識として、後天的に学んだ旬と違って、知らずに意識に刷り込まれていた「旬」をあらためて、知って(再認識して)ちょっと、感動したのです。

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2004.04.18

やすんでます。

ネットワークから、離れているところにいて、明日の夜まで、オフラインです。ほぼ。
ほんとうは、そういう状況だからこそ、綴りたいのだけれど…
帰京したら、いろいろ書くつもりっす

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2004.04.14

右利き、左利き

利手はどっちですか
ほぼ右利きです。
正確には、箸だけ、ほぼ両利きです。
ここ一年ぐらいでなりました。いつのまにか。

正確に言えば(って、最初から言え)最初は意識して使ってたんだけど、いままでに何度か試していたこともあってか、すんなり左もいけるようになりました。

で、前々から、疑問なことがある
それは、左右の概念て先天的なものなのか後天的ななものかということである。

人類が言葉を持って以来、間違いなく&言語や洋の東西問わず、、右”や"左"が正しく伝承?されていることである。
不思議だと思いませんか。

右を教わるときよく言われたのは、箸をもつ手とかさまざまな表現(いわゆる右利き仕様で)で教えられるけど、先天的に、左利きのひとは、そういわれても、わからないはず。だけど、右は右として、認識している。
違和感を感じながら、先天的(だとしたら)に感じているものの逆として、刷り込まれているのだろうか。

特に、ヨーロッパとかって、左利きがおおく、右利き自体が、むちゃくちゃマイナーというわけでないのに、そのなかにあって、右と左の概念が統一されているのを思うと不思議で、この疑問に答えがない。

ちょっと、この件、言いたいことにまとまりがないのだけれど、右、左という概念を改めて考えてみると、興味深いとおもうので、書いちゃいました。

心は左の人間より


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2004.04.13

長崎ちゃんぽんは、あるくやさしい完全食である

ここんとこ、英語のタイトルが多かったけど、久しぶりに日本語。
長崎ちゃんぽんって、麺類では、毛色が違うけど、(違うゆえか?)どうも、いわゆる雑誌なんかで、特集とかされないちょっと不運な麺だ。うまいのに。

ある人(長崎出身)の勧めで、本場そのままの料理屋さん:おくんち(#アドレスがみあたらず。日本橋のほうです)に連れて行ってもらって、改めて、いけるなぁとおもったし、喰い終わった印象を発言したときに、「やさしい完全食」ですねぇと表現した。

その表現は、あたっていると後で、教わった。もともと、飲食店(中華屋らしい)で、まかないとして、くず野菜とかあまったものをいためて、麺に全部乗せて喰ったのが発祥だからだそうだ。

汁は、白濁というか、白湯で、野菜がようけのっかっていて、うまい。
わかるひとにはわかるが、我が地元の、しっぽくうどんにのりがちかい。
(あっ、関係ないけど、皿うどんもいいな。)
ただ、日常の食べ物なんだろうなと思った。
だからこそ、局地的だし、麺として、世の中が見てくれないのだろうなぁ。と。
ちゃんぽんもうどんも、自身は、「引き」の麺だとおもっている。(このへんは、またの機会に熱く語る)
その中で、「讃岐うどん」がブームになったのは奇跡的だなと思うし、それだけ、引きの割には、いろいろ極端さというか、きわものさがあったのだろう。

とにかく、ちゃんぽんも、日常では喰えないのだけど、いいもんだと思う。

ちゃんぽんでおいしいところをごぞんじでしたらおしえてください>皆様


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2004.04.12

Dog Days と 凪

今日は、すこぶる気持ちのいい日だった。
だけど、思った。
こんなに気持ちのよい日だった(自転車に乗りたいぃと思ったときも度々)けど、1日の中で時折、季節が移り変わるというか、いろんな季節の局面をみた気がした。。
心地よい風が吹き抜けた後に、風の止まる時間や蒸し暑さを感じたりしたときもあった。
その時に、一瞬思い出したのが、"Dog Days" とか "凪"という言葉だ。
前者は、アメリカなんかで使われる言葉で、真夏の、風も雨もなく、乾いて、太陽が照り続ける日々のことを言うし、
後者は、ご存知のとおり、(特に、瀬戸内沿岸でもちいられる)夏の夕方に風が止まるときを言うのだけれど、そういう雰囲気を今日の中で、一瞬感じた。

さて、dogって言葉の意味は、犬だけど、英語(特に、アメリカ語)では、あまりよい意味には使われないようだ。
日本でも、犬といえば、あまりよくない言葉、「畜生」(このいぬやろう!)とか、「擬似」(いぬふぐりとか)、「卑猥語」(バター○とか)的な言葉に使われるし・・・万国共通なのだろうか。Dogをつかった、英語の表現を教えてください>皆様

脱線するけど、昔、NBAの選手で好きだった、Mark Priceは、外国の友人に聞くと"Dog Player"と表現していた。
マイナーだけど、ええ仕事するやつてきな表現だそうだ。日本(の野球)で言えば、みんな、いろいろあるでしょうが、俺的には、近鉄の新井かな。これも知りたい。教えて>皆様

で、犬って、漢字は、"大"に"てん"。何でなんだろう、なんて考えてみた。大きいにてんひとつで、犬?うむう。
象形文字としては、少し想像力が乏しい感じがする。人が大の字になっているから、きっと、人をあらわしているのだろうけど、それに、てん、ひとつって…人の傍ら(パートナー)におるから、犬なんだろうか…
知っている方は、是非、教えて下さい。

で、今日の一日の中で感じた雰囲気で、"凪"もあるのだけれど、こちらは、犬よりも、わかりやすくて、日本独自の漢字だけれど、一時にして雰囲気が伝わってくるなぁと思った。
犬と凪、すごく、単純な字だけれど、成り立ちを考えるとなかなか面白いなぁ

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2004.04.09

Shoot the hostage!

ご存知の方はいますか?
そうです。映画"SPEED"で使われたセリフです。
素晴らしいセリフだと思いませんか。

現実でも、意外にこれを実践するといいのでは?とおもいます。
本丸の相手トップではなく、味方?こっち側?せめることで、むこうをびびらせ、ひるませるという…
(#殺られた方は、たまったもんじゃありませんが)

これから、時々、映画のセリフとか、心に残った幅のある言葉を取り上げようかなと思ってます。

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2004.04.08

70mm, Size Does Matter

最近、ホントに聞かなくなりました。
70mmの映画って。
シネコンばやり(きらいじゃあないし、あり)で、70mmをかけるには、小さいスクリーンが多いし、
製作側もコストもかかるなどでやらない。
今70mmの映画って、超話題作をプレミアでやるために、おそらくコンバージョンしたぐらいじゃないだろうか。
10年ぐらい前は、ハリウッド的な大作だと、けっこー70mm版が用意してあった。

最近だと、MATRIXは、70mm版があったようだけど。ロードオブザリングは、あるのかな?
ご存知の方、お教えください。
あったとしても、かける小屋がないしなぁ。今は。

自分が見た70mmの映画で、その圧倒的迫力で衝撃を感じたのは、ファンタスティック映画祭で、
毎年やっていた名作の上映で、「アラビアのロレンス」(!!すごいぞ、冒頭部分)
「サウンドオブミュージック」(!!!山々が美しい)だ。今はなき、渋谷の「パンテオン」で見た。
ここは、本当に、70mmを感じさせてくれるには素晴らしい映画館だった。
オールナイトで映画を観たあと、よく眠らせてもらった。

70mmに限らないけど、圧倒的なパワーというのは、有無をいわせないものだと感じたなぁ。
まとまりがないが、大作を見るときは、そんな視点で選ぶのも面白いもんです。
(でも、最近は選べないんですけどね)


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2004.04.07

Drunken Monkey

昨夜は、飲んだくれた。
久しぶりに。
ずいぶんと久しぶりに、ダーツもやった。
酒場に来ていた外国人とともに、クリケットなどやって楽しんだ。
昔の職場の奴と飲んだけど、とても、新鮮で、自分の頭の中をいろんなアイデアが駆け巡る。
ありがたい。

昔の職場で同じというだけで、食事やお酒をともにしてくれるのは、仕事を超えて付き合ってもらっているわけだからとてもありがたいなと、本当に思う。

「今度飲みましょうよ」と社交辞令を言う奴ばかりだけど、その約束を本当に守る奴とは、仕事を超えて、”いずれ、なんかおもろいこと、いっしょにできる”と思って、いろいろと話したいなと思うし、そういう人間を信頼している。

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2004.04.05

「げ」とか、「しょい」とか

「…げ」って、自分の中では、地元の言葉であったのに、いまや共通語になっている。
「…げ」というのは、~のようなという意味であり、えいごでいうところのLikeにちかい。

この接尾語というのは、自分の地元では当たり前のように使われていたが、いつの間にか、東京進出していた。
使用法としては、京言葉というか、古文の名残であるから、現在の使われ方には、本来の意味と変わらないし、まったくよいのだろう。

ただ、感じるのは、東京でこの「げ」が使われるのは、本来の意味どおりに使われたり、古い言葉の新鮮さが故使われるのと同時に、「の方ですか」「よろしかったでしょうか」のような最近の表現のように、なんだか、回りくどさや婉曲的表現としても使われているようだ。
対人関係のクッションのような感じ。

使われ方に違和感は感じるけど、自分の地元みたいに、「うれしげ」のような反対の意味を持つような言葉がでてくると、きっと、違和感を感じないようになるのだろうし、言葉の広がりを感じるだろうな。

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2004.04.04

色気のない街と豚丼

台場
昨夜から今日にかけて、滞在していた。
家庭の事情で。
3ヶ月前にも滞在した。
なんど、いっても、わくわくはしない。
色気とか、匂いとかがない街だなぁとおもう。
楽しめる人は楽しめるのだろうけど。
まだ、ディズニーランドとかのほうが、割り切っている分、楽しめる。
といいながら、行くたびに思うのは、すこしづつ、幅がでているとはおもう。
やはり、来る人が増え、働く人が増え、住む人も増えると、当初のころより、幅が出ているなとは思う。

バーにでもいこうかななんておもって、行く前に、夜中にぶらぶらとであるいていたら、吉野屋があった。
前からあったけど、思わず、入って、「豚丼」をたべてみた。
これが、意外にいい。牛丼のよさとはちがうし、正直、「豚」としてのよさは出ていない。
牛丼に昔感じた、牛のくず肉をうまく調理したなぁという感じがよみがえってきた。
豚というより牛の端肉というかんじとして、いける。
はやりの半熟卵をつけて、途中からいれたのだが、入れないで喰うほうが、いい。

で、前々からあった吉野屋だけど、それを喰らうことで、街の幅を感じる自分はあほだなぁとおもうし、こんなことで
街をかたるべきでもないのかとも思う。
まあ、ほかに感じるのは、自分の中で吉野屋ってそれほど評価していなかったけど、(嫌いじゃない)、そういう街の雰囲気の小道具になっている地位になっていることが思いもよらなかった。吉野屋もなかなかだなぁ。

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2004.04.01

Tired Of Being Alone

すてきな題名だ。
その上、素敵な曲だ。
曲と歌詞がいい。いい曲は歌詞がいい。
正確には自分好みの歌詞なんだということだ。
曲が、歌詞がどうだと議題?議論については、いろいろあるので、今度酒場でということにして。

この曲、邦題は、「悲しき独り暮らし」という(感じの)タイトルだった。外れてもいないが、歌詞を聴けば、もっと違う題名にすべきだろうなあ。

とにかく、この曲をカバーしたいろんな人(いるのか知らんけど)のものも聞きたいと思う。
知っている方がいたら、ご教授ください。

今日は、このへんで


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