僕のねっこ
ふと思うわけだ。
電車で、深夜帰宅するとき。
廻りを見まわして、この人となんも関係ないけれど、それぞれ、家、家族の元に返っていくんだぁ、それぞれが生きているんだよなぁ。
いろいろ抱えながら。さ。
ひとことも話さないひとがほとんどの中、少しでも話す機会を得て話す機会があるのは、相手が誰であれ、すごい事なんだよなぁ。
可能性の上では、さ。
でも、話したくない事もあるわけで。。。
そんな可能性に重きをおくよりも、話さない可能性の方がすごいのかもしれないよなぁ。痛みも喜びも感じない、感じたくないなら。
でも、感じようとするほうが、いいと潜在的に思っているのは何故だろう…
| 固定リンク
« 腹痛早退 | トップページ | 久しぶりの一鶴に »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント