儀礼的な礼儀の感覚
それは、価値観と言って片付けられる類ではある。
でも、何か他者に手伝ってもらうなり行動してもらって、感謝、御礼の類を頭を下げる、発言する、メールする、手紙を書く等レスポンスを何か行うことの感覚、される、する問わず似ている人は好きだし、あわない人というのはそういう部分が違っている。
まあ、お礼をする時は、すこし慇懃な位の方が無難で角がたたないとは思うけれど。
最近、そんな場面に何度か出くわし、振り返って自分はせめて自分の感覚に忠実に出来てるかなと。
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